1792年3月1日 王妃と8歳離れた次兄レオポルト2世が亡くなりました。
先代の長兄ヨーゼフ2世が亡くなったのは1790年、次兄レオポルト2世はわずか2年で、亡くなりました。
レオポルト2世は、マリーアントワネットを心配して、「ピルニッツ宣言」に協力しました。
兄ヨーゼフが24歳で再婚の祝宴は、シェーンブルン宮殿で催されました。
その様子は、オーストリアの画家マインテスが絵に残しています。
レオポルトは、チェンバロを演奏していたそうですが、絵にはあらわれません。
当時10歳のマリーアントワネットが、バレエ「愛の勝利」を踊っているところが描かれています。
レオポルト2世の死後、息子のフランツ2世が王位を継ぎます。
しかし、フランツ2世はマリーアントワネットと面識がなく、優柔不断な態度に終始しました。
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