1793年11月1日 マリー-アントワネットがようやくマドレーヌ共同墓地に、埋葬されました。
10月16日の処刑後、マリーアントワネットは、長いカゴに入れられて、マドレーヌ墓地に運ばれました。
しかし、埋葬命令が出ないので、しばらく墓地の中の草むらにそのまま放置されていました。
11月1日、ようやく埋葬命令が出ました。
王妃は棺に収められて、生石灰の層が王妃の棺を覆って、マドレーヌ墓地に埋葬されました。
→この石灰の層が、後に、掘り起こすときに目印になった。
その後、マドレーヌ墓地は、1794年2月26日に閉鎖されます。
そして、その後の10年間は穴を掘らない条件で、
1797年に、イサク・ジャコ、という指物師に売却されました。
このイサクは借金まみれだったので、1802年に、ピエール ルイ オリヴィエ デグロゾーに売却されました。
デグロゾーは、1769年には、マドレーヌ墓地に隣接した土地を購入していました。
これは、埋葬場所を見守るためで、いつか「マドレーヌ墓地」を手に入れるためだったのです。
このデグロゾーは、何者か?
最初は、マリヴォー侯爵の「料理長」として、知られていました、
その後、パリ高等法院の弁護士になったこの地域の名士です。
デグロゾーは、マリー-アントワネットの埋葬場所が、あとで発見できるように、工夫をしました。
墓の上に芝生を張った塚を作り、糸杉と二本の枝垂れ柳で囲みました。
塚には、黒い十字架を建てて、場所を閉鎖した。
囲いの塀が再建されて、私有地の庭を通らなければ、行くことができなくなりました。
ごく限られた人たちだけが、世間の目を忍んで、この場所を訪問していました。
参考文献:王妃マリー・アントワネット 新人物往来社 2010年
12の場所からたどるマリーアントワネット 原書房 編著:ジャン クリスティアン プティフィス
アイキャッチの説明
作者:Lemercier, Charles Nicolas (en 1797 – en 1854), dessinateur
オリジナルサイズ:高さ : 7センチ 幅:11センチ
マドレーヌ墓地、現在は、贖罪礼拝堂
贖罪礼拝堂:https://www.chapelle-expiatoire-paris.fr
ルイ18世が、1816年に、マリー-アントワネットとルイ16世を追悼するために建設を開始しました。
最寄駅は、サン・ラザール駅と地下鉄サントーギュスタン駅です。