1765年8月18日は、マリー-アントワネットの父フランツ1世(全名:フランツ シュテファン フォン ロートリンゲン)、(ドイツ語:Franz Stephan von Lothringen)の命日です。
マリー-アントワネットが9歳のときでした。
三男レオポルトの結婚祝いのために赴いたインスブルックから戻った日の夕方、突然に亡くなりました。
バレエ「愛の勝利」をマリーアントワネットが踊っているところが描かれている絵画(ヨハン ゲオルク ヴァイケルト作)1765年1月24日の出来事なので、その当時父フランツ1世は健在でした。
フランツ1世は、ウィーンのカプツィーナ教会地下の皇帝墓所には1633年以来、皇帝家の人々150人の棺が納められ、永眠の地となっています。
かつてのオーストリア帝国の統治者ハプスブルク家の一族のためのものです。
マリー-アントワネットが、フランスへ嫁ぐきっかけになる出来事が起きた現場です。
第12子9女である全名マリア・ヨーゼファ・ガブリエラ・ヨハンナ・アントーニア・アンナ(Maria Josepha Gabriella Johanna Antonia Anna)が、ナポリ・シチリア王国へ嫁ぐ予定でした。
結婚の報告のために、母マリアテレジアと墓参をした。
この時に、マリア・ヨーゼファは天然痘にかかった。
母マリアテレジアは、すでに天然痘にかかっていて、免疫があった。
2日後(10月15日)、マリア・ヨーゼファは天然痘で、亡くなった。
そこで、妹のマリア・カロリーナが、代わりにナポリへ嫁いだ。
そして、そのまた妹であるマリー-アントワネットが、フランスへ嫁ぐことになったのである。
マリア・ヨーゼファも、皇帝納骨所(カイザーグルフト)に眠っています。
アイキャッチの画像について
父フランツ1世の肖像画、パステル画
作者:ジーン・エティエン・リオタール
作品サイズ:高さ:65cm;幅:52cm
参考文献:Wikipedia日本語版
エレーヌ・ドラレクス、アレクサンドル・マラル、ニコラ・ミロヴァノヴィチ著
岩澤雅利訳「マリー-アントワネット 華麗な遺産がかたる王妃の生涯」2015年原書房
皇帝納棺所 (Kapuzinergruft)について
https://www.kapuzinergruft.com
最寄駅:Karlsplatz駅(カールスプラッツ駅)から徒歩5分