1793年8月2日午前2時、マリー-アントワネットは、タンプル塔からコンシェルジュリーに移されました。
7月3日、マリー-アントワネットは、革命委員会によって、息子を取り上げられました。
そして、約1ヶ月後にあたる8月2日午前2時に、義理の妹エリザベトと娘の二人から引き離され、独房に一人で暮らすことになりました。
コンシェルジュリーでの王妃の様子を知ることができるのは、彼女の世話係であった「ロザリー ラ モリエール」の証言だけです。
(Rosalie Lamorlière、本名 Marie Rosalie Delamolliere/Delamorlière、1768年3月3日 – 1848年2月2日)
「ロザリー ラ モリエールは文字が書けないので、1837年に、自らの経験を聖職者ラフォン・ドゾーヌに口述し、**マリー・アントワネットの最期についての重要な回想録(証言記録)**を残しました。
この証言が、コンシェルジュリーでのマリー-アントワネットの様子を伝える1次資料になります。
フランス語で出ているので、いつか読んでみたいです。
一部には、「ロザリー ラ モリエール」の存在を疑うこともありましたが、現在では複数の資料によって、その存在が認められています。
また、漫画「ベルサイユのばら」に、「ロザリー・ラ・モリエール」という女性が登場するようです。
しかし、漫画では、歴史上の人物にたくさんの脚色を加えているので、架空の人物になります。
※アイキャッチの画像で立っている中央の女性が、「ロザリー ラ モリエール」です。
ベッドに臥している左側の女性が、王妃のマリー-アントワネット、だと思われます。