1786年7月9日マリー-アントワネット30歳、次女マリー・ソフィー・エレーヌ・ベアトリクス・ド・フランスを出産しました。
フランス語表記:Marie Sophie Hélène Béatrix de France(マリー・ソフィー・エレーヌ・ベアトリクス・ド・フランス)
彼女は次女であり、夫妻の4番目の子供でした。
生まれたのは、ヴェルサイユ宮殿です。
残念ながら、次女は1歳を迎えることなく亡くなりました。
実は、気になることがあります。
ルイ16世が長男以降について、つまり次男次女については「自分が父親ではない」的な発言をした、と言う噂があります。
しかし、具体的な証拠原典はありません。
次男の誕生に対して、ルイ16世が日記に残した言葉「ノルマンディー公を出産した」が冷めた印象を与えます。
または「夫婦関係は稀なものになっていた」というメルシー伯の書簡が残っていることなどが、憶測を生んでいるようです。
マリーアントワネットは王太子妃時代から、すでに敵がいました。
自ら敵を作り、挙句に目の敵にされてきました。
王太子妃が、女性であり、外国人であり、オーストリア人であること、が敵を作る主な理由です。
今で言う「属性」が多かったことが、攻撃しやすかったのですが、本人にとっては、理不尽なことです。
国王ルイ16世が、公式寵姫を持たなかったことも、王妃が攻撃される原因になりました。
公式寵姫の存在は、王妃にとって避雷針のようなもので、公式寵姫が攻撃や非難を一身に受けることで、王妃は安穏に暮らすことできたのです。
現在では受け入れられませんが、「王妃」は国母として、国王の影にいる存在であることが求められていました。
ご承知のとおり、マリーアントワネットは、そう言う人ではありませんでした。
マリー-アントワネットは、現代的な女性です。
子供を自分で育て、自分の趣味を実現し、身の回りの品物を自分でプロデュースしています。
新しい価値観は、男性にとっても、女性にとっても驚異をおそらく与えたでしょう。
だから、旧来の価値観に押し込もうと、攻撃を仕掛けられました。
この記事のアイキャッチ画像についてです。
著者:Élisabeth Vigée Le Brun
作品サイズ:32.5 x 26 cm
作品の形態:drawing
Princess Marie Sophie Hélène Béatrix de France, 1786, youngest child and second daughter of King Louis XVI. of France and Queen Marie Antoinette of France, granddaughter of Empress Maria Theresia of Austria and Holy Roman Emperor Franz I. Stephan of Lorraine, drawing, 32.5 x 26 cm, The youngest child of Louis XVI and Marie Antoinette was born 1786 and died in 1787. This sketch was probably prepared at the same time as the pastel of Princess Sophie on art page 47.
ヴェルサイユ宮殿へのアクセス
パリ、シャルル・ド・ゴール空港からクルマで、1時間10分程度、48、9キロ
電車を利用すると、1時間30~40分ぐらいです。
空港を出発する時間とベルサイユ宮殿が、開館している時間をご確認ください。
ヴェルサイユ宮殿
- 4月~10月:9:00~18:30。
- 11月~3月の開館時間:9:00~17:30。
- 閉館時間:閉館の30分前まで。
- 休館日:毎週月曜日(12月25日、1月1日は休館)。
- 大トリアノン
- 小トリアノン
- 王妃の村(庭園は小トリアノンに含まれる)。
これらの宮殿の開館時間は以下の通りです:
- 4月から10月:正午12時から午後6時30分まで;
- 11月から3月の開館時間:12:00から17:30まで;
- 閉館時間:閉館の30分前まで;
- 閉館日:月曜日(休息日)、12月25日、1月1日