1793年7月3日 マリーアントワネットは、息子ルイ17世を取り上げられました。
革命委員会が、ルイ17世をマリーアントワネットから取り上げました。
マリーアントワネットは、1時間以上、抵抗しました。
最後には、息子の命に関わる脅しに、マリー-アントワネットが屈することになりました。
ルイ17世は、元々、大人の顔色を見て、心にもないことを言うところがありました。
そのことを母親であるマリーアントワネットが心配していました。
隔離されてから、ルイ17世の養育は、靴屋のシモン夫妻が担当することになりました。
最初の二日間は、少年の泣き声が聞こえてきたようです。
やがて、ルイ17世は、夫妻によるアルコール摂取や性的虐待、暴力によって支配されるようになります。
ルイ17世は、マリーアントワネットの部屋の上の階で暮らしていました。
少年が革命歌を歌っているのが聞こえてきたり、母親や義理の姉の悪口を言う声が聞こえるようになりました。
マリー-アントワネットが心配していたとおりになりました。
息子から引き離されたマリーアントワネットは、ときどき息子が庭に出て走り回る様子を眺めて、泣いていました。
この頃、マリー-アントワネットの周りには、まだ、義妹のエリザベトや娘のマリアテレーズが一緒でした。
しかし、息子であるだけでなく、即位したルイ17世を奪われた心痛などという簡単な言葉では言い表せない不安、恐怖、喪失感にマリーアントワネットの心は、支配されていたでしょう。
これから、マリーアントワネットの境遇は、さらに過酷なものになっていきます。
参考文献:中公新書2286「マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃」著:安達正勝
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著者:Alexander Kucharsky (18 March 1741 – 5 November 1819)
タイトル:Marie Antoinette in the Temple prison.
オリジナルのサイズ:height: 25 cm ; width: 20 cm