1787年6月13日、次女マリー・ソフィー・エレーヌ・ベアトリクス・ド・フランス
(Marie Sophie Hélène Béatrix de France)が亡くなりました。
次女は、0歳11ヶ月、1歳の誕生日を迎えられませんでした。
マリー-アントワネットは、32歳でした。
※マリー・ソフィー・エレーヌ・ベアトリス・ド・フランス、と表記されることもあります。
カンパン夫人が、自分の「回想録」の中で、当時を振り返ったマリーアントワネットの言葉を残しています。
(引用ここから)
「この最初の不幸がそののちに次々と襲った凶事の始まりだった、と王妃はおっしゃっていました」とカンパン夫人は『回想録』に記している。
(引用ここまで)
参考文献:カンパン夫人 フランス革命を生きぬいた首席侍女
イネス・ド・ケルタンギ著、ダコスタ吉村花子訳、白水社 2016
この言葉がいつのものかはわかりませんが、その後、ルイ16世が三部会の招集を承認し、国王の弟たちや王妃の友人・側近たちが、フランスから逃げ出すことになります。
そして、国王夫妻もヴェルサイユ宮殿から追い出され、パリへの移動を強いられるのです。
マリー-アントワネットを取り巻く環境は、どんどん過酷なものになっていきます。
しかし、マリー-アントワネットは、王権が停止されて「王妃」の身分を剥奪されるまでは、
どんなに環境が変化しても「王妃」でした。
「王妃」の身分が剥奪されても。元「王妃」の矜持が失われることはありませんでした。
つまり、「王妃」であることで、自らと家族をを守ったのです。
アイキャッチに使用したマリー-アントワネットの肖像画の右隅の空のベッドは、ソフィー・ベアトリクスが亡くなったことを示しています。
空のベッドを指さしているのは、王太子(ルイ=ジョゼフ、6歳)です。
王妃の膝の上にいるのは、次男ルイ=シャルル、ノルマンディー公(2歳)です。
王妃にもたれかかっているのが、
長女マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス(11歳)です。
制作が開始されたのは、1787年7月9日で、1787年に公開されました。
この作品が、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの最高傑作と言われています。
作品のサイズ:長さ: 195 cm;高さ: 271 cm
作者:エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)
Elisabeth Louise Vigée Le Brun (1755-1842)
アイキャッチの肖像画のキャプション
Marie-Antoinette de Lorraine-Habsbourg, reine de France et ses enfants (Marie-Antoinette de Lorraine-Habsbourg, Queen of France, and her children) (1787, oil on canvas),
Versailles
著作権者表示のキャプション
エリザベート゠ルイーズ・ヴィジェニルブラン,Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で