1795年6月8日は、ルイ十七世の命日です。マリーアントワネットの次男です。10歳でした。
在位期間は、1792年1月21日から1795年6月8日になります。
ルイ十七世の死去の時に、存命だったのは、姉のマダムエリザベトだけでした。
1793年10月7日に、ルイ十七世が、姉に会ったのが最後でした。
ルイ十七世は、母から引き離されてからは、シモン夫妻に育てられました。
この夫婦に、ルイ十七世は虐待されたようです。
具体的には、酒を飲まされたり、下品な言葉を教え込まれたようです。
しかし、こうした証拠は残っていないので、証明できません。
また、ルイ十七世は、母親マリー-アントワネットが心配するような性格の持ち主でした。
彼は、大人に気に入られるために、心にもないことをしてしまいます。
具体的には、マリー-アントワネットや王妹マダム-エリザベトの悪口を言ったり、革命歌を歌ったりすることで、シモン夫妻に気に入られようとしました。
それは、母親マリーアントワネットが人を喜ばせるのが好きだったことと同じ根があるような気がします。
ロベスピエールが失脚した「テルミドール9日のクーデター」前後から、ルイ十七世は忘れらた存在になりました。
誰にも監護されることもなく、放置され、監禁されていました。
ルイ十七世は、衰弱して、言葉を話せなかったようです。
そして、治療手当を受けましたが、回復すること亡くなりました。
ルイ十七世の死後、ルイ十七世を僭称する(自分の身分を超えた称号を勝手に名乗ること※広辞苑アプリによる)者が現れました、その数は40人以上いたようです。また、僭称者の人数については。諸説があるようです。
ルイ十七世はすり替えられて、他国で生き延びた、という噂を信じたい人たちが夢を見ました。
2004年6月に、残された心臓に残されたDNAは、「マリーアントワネットと血縁がある」という結論が出ました。
父親系のDNAについては、その性質上、損傷していて検証できなかったようです。
今は、ルイ十七世の心臓は、サン=ドニ=バジリカ大聖堂に納められています。
1795年12月19日、姉は、タンプル塔から解放されて、ホーフブルク宮殿へ向かったが、
波乱万丈の人生の末に、天寿をまっとうした。
[まとめ]:1795年6月8日は、ルイ十七世の命日です。享年10歳
死んだ子供は、2004年6月のDNA鑑定の結果、ルイ十七世であると、結論が出ました。
いまは、ルイ十七世の心臓は、サン=ドニ大聖堂に納められています。
参考文献:ウィキペディア日本語版 ルイ十七世、マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス、テルミドール9日のクーデター
ロケーション情報:サン=ドニ=バジリカ大聖堂(La basilique cathédrale Saint-Denis)への行き方
URL:https://www.saint-denis-basilique.fr
メトロ13号線Basilique de Saint-Denis バジリク・ド・サン・ドニ 駅から歩いて3分です。