2020年に、Eテレで放送された「マリー・アントワネット 最後の日々」では、
マリー・アントワネットの裁判を通して、王妃の生涯を振り返りました。
王妃の死刑判決が、裁判前から決まっていたことに、驚きました。
この番組は、フランスのドキュメント番組です。
この番組の原作本は、Emanuel de Waresquiel [JUGER LA REINE]です。
この本には、日本語訳がありました。
「マリーアントワネット 最期の日々」エマニュエル・ドヴァレスキエル著 土井佳代子訳 原書房 2018 になります。
この本には、私の知らないマリーアントワネットのエピソードがたくさん出てきました。
なので、もう少しネットを検索してみると、
「マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃」安達正勝著 中公新書 2014
「マリー・アントワネットの嘘」惣領冬実著 講談社 2016
「マリー・アントワネット」惣領冬実 講談社 2016
の存在を知りました。
2000年過ぎたころ、フランスでは、ルイ16世、マリー・アントワネットを再評価する書籍が出ていたようです。
ルイ16世については、Jean-Christian-Petifis[Louis XVI] 2005
マリーアントワネットについては、Simone Bertière[Marie-Antoinette l’isoumise] 2003
このことは、ネット検索で見つけたお二人の書籍で知ることができました。
「ルイ16世」は、日本語版が、2008年に中央公論社から出ていましたので、古本で手に入れ、
Simone Bertière[Marie-Antoinette l’isoumise]には、日本語版がないので、原書を購入しました。
仏検三級では、とても太刀打ちできませんが、無理やりに、三年近くかけて、読み終えました。
これをきっかけに、もっと「マリー・アントワネット」を知り、
新しい「マリーアントワネット」のイメージを構築したい、と思っています。
王妃には、あまりにもたくさんの顔があり、その顔が重なり合うことで、また、別の見方ができてしまうのです。
一体、「マリー・アントワネット」はなんだったのか?
もちろん、ひとことでは、無理でしょう。
最近では、シンプルな言葉、表現が好まれます。
複雑なものは、ひとことでは、表現できません。
どうしても、こぼれる要素が必ずあります。
それを切り捨てるのは、乱暴です。
切り捨てて、無視して、言いはずがありません。
人間には、相反する要素、性格が含まれているのです。
フランス革命当時、二人は攻撃の最大の的であり、絶対的な権力権威を体現していました。
まず、彼らについて宮廷内で芽生えた根拠の小さい誹謗中傷が流れ、やがて、その誹謗中傷が噂として、パリ市内でも根も葉もないスキャンダラスな誹謗中傷流言蜚語として、王の権威を地面に引きずり下ろし、踏みつけ、首を刎ねることになるのです。
結婚当時、二人の人気はとても高いものでした。
それが、わずか30年、「平成」に相当する時間のうちに、支配体制が変化したことになります。
ルイ16世とマリーアントワネットの再評価は、この国ではあまり知られていません。
これまでの評価は、ダメな王様悪いお姫様というステレオタイプでした。
歴史は勝者のものですから、「国王殺し」は正当化されたままです。
ツワイクの「マリー•アントワネット」が出版されたのは、1932年です。
この作品は、ツワイク51歳のもので、その10年後に、61歳で亡くなります。
(※Stefan Zweig の日本語読みは、いろいろあります。
ここでは、岩波文庫版訳者お二人に敬意を表して、「シュテファン・ツワイク」に統一します)
そのはしがきには、「マリー・アントワネット」を書くにあたってのツワイクの決意が述べられています。
(引用ここから)
王妃「マリー・アントワネット」の物語を綴るということは、弾劾する者と弁護する者とが、
たがいに激論のかぎりをつくしている、いわば百年以上にもわたる訴訟を背負いこむと同じことである。
(引用ここまで)
岩波文庫 マリーアントワネット(上)シュテファン・ツワイク作 高橋貞二・秋山英夫訳 1980
原作:MARIE ANTOINETTE 1932 Stefan Zweig
フランス革命から140年近くが経っていても、このような決意がなければ、「マリーアントワネット」のことが、書けなかったようだ。
それは、弾劾者側のせいである、とツワイクは言う。
そして、ツワイクの結論は、マリーアントワネットは「平凡な人間」にすぎない。
ツワイクは、王妃を比類のない運命に巻き込まれて残した結果にすぎない、と評価した。
ツワイクの作品は、90年以上「マリー・アントワネット」の伝記として、揺るぎないナンバーワンの地位にある。
2003年のSimone Bertière[Marie-Antoinette l’isoumise]は、ツワイクに代わる可能性があった。
(この本では、ツワイクについても検討している)
ツワイクがベストセラーの理由は、何か?
一番大きいのは、マリーアントワネットの恋愛関係、とくにフェルセンと交際があった、としていることだと思う。
王妃の夫である国王は、太っていて、優柔不断で、ダンスもできない、女性のことは妻に対してしか関心がなく、食欲旺盛で、趣味の錠前作りに情熱を燃やしていた。
相手のフェルセン伯爵は、スウェーデン人で、王妃と感覚センスが近くて、女性に優しい男性として、描かれている。
こうして、二人のロマンスは確たる証拠がないまま、一人歩きし出した。
(つづく)
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