2025年、マリーアントワネット生誕270年のお祝いに、劇場アニメ「ベルサイユのばら」が公開される。(その4)

「マリーアントワネット」には、著作がない。

彼女の言葉を知るには、書簡、手紙しかない。

マリーアントワネットの書簡は、母マリア・テレジア、大使メルシーとのものが有名です。

その期間は、1770年の嫁入り後からマリア・テレジアが1780年11月29日までになります。

もうひとつ有名なのは、スウェーデン人フェルセン伯爵との暗号書簡があります。

1780年10月に、フェルセンが、マリーアントワネットに、フランス軍における昇格を嘆願するために、手紙を書くつもりだと、父親に知らせているのが、最初のようです。

そして、フェルセンの書簡記録簿は、1783年11月にはじまり1792年8月までに、二人は約578通の手紙をやりとりしたと、考えられている。

しかし、国立文書館に保管されている原本は、68通のみで、全体の約12%である。

それ以外は、紛失したそうだ。

p41、p56 参考文献「マリーアントワネットの秘密の暗号 解読されたフェルセン伯爵との往復書簡」

エブリン・ファー著、ダコスタ吉村花子訳 原書房 2018

2021年には、インクで塗りつぶされていた部分の解読に成功している。

それ以外に、BNF(フランス国立図書館)にも書簡集が残されています。

ナポリ王妃である実姉マリア・カロリーヌ、国王の妹マリア・クロティルド、亡命したポリニャック夫人、画家ヴィジェ・ルブラン、との書簡集があります。

フランス語能力十分でなく、また、速読力もありませんが、蝸牛の全速力で、取り組んでいきたいと、思います。

そして、ツワイクの作り上げた「マリー・アントワネット」のイメージを可能な限り史実に近づけていく活動をして行こう、と考えてます。

「マリー・アントワネット」が対峙したフランス革命という過酷な運命を前にして、彼女が選んだ行動活動は、誰にでもできることではない。

具体的には「一人で逃げない」、「夫のフォローを続ける」、「母であり続ける」、「家族と一緒にいて守る」、「現状に屈しない」、「側近への信頼を失わない」など、言い方はいろいろある。

安達正勝は「革命に立ち向かった王妃」と、名付けた。

Simone Berteille は「不a服従の女」、とa呼んだ。

通常の暮らしであれば、政治的な行動、打算的な行為、気まぐれな思いに基づく行動がある。

しかし、フランス革命という苦境にあっての行動は、とくに、1789年10月5日のヴェルサイユ行進によって、パリに連行されて、チュイルリー宮殿に移り、自分の命が狙われているという危機が切実なものになった。

それ以降の彼女の行動は、死を覚悟した真摯なもの、誠実なものと信じたい。

史実に残る行動行為を通して、「マリー・アントワネット」とは、どんな人物なのか?を知りたい。

(おわり)


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