2025年、マリーアントワネット生誕270年のお祝いに、劇場アニメ「ベルサイユのばら」が公開される。(その3)

マリーアントワネットは、フランスに嫁いでから、子どもがうまれないので、「存在理由」を必要としていた。

当時の価値観では、「世継ぎ」を産むことが求められていた。

アントワネットの結婚年齢は14歳で、生理はあって、妊娠は可能だった。

しかし、王太子は、妻を恐れていた。

結婚から8年近く、完全な結婚(=性交)は、達成されていない。

完全な結婚は、ゴシップや覗き趣味でなく、あくまでも、国家の大事であった。

マリーアントワネットは夫の「愛」を求めていたと、思う。

趣味の錠前作りが終わる夫を工作室の前でむかえたり、趣味の狩猟に同行する努力をしてきた。

それでも、夫は、一度、ベッドを共にすることを約束をしておきながらも、先延ばしにしていた。

やがて、「気晴らし」がはじまる。

パリでの仮面舞踏会、夜毎の賭け遊び、競馬、ファッション、取り巻きとのお芝居ごっこなどなど。

しかし、マリーアントワネットは、「性」については淡白だったと思う。

歴代のフランス王妃には、欲情に走る王妃がいた。

そういう王妃は、一人の相手にとどまらなかったし、相手の身分も問わなかった。

しかし、取り巻きやスパイの多い宮廷内で、「二人だけの秘密」を守るのは無理だ。

夫との寝室の出来事さえ知ろうとしているのだから、ゴシップ好きの宮廷人の視線を逃れるのは難しい。

しかも、王妃の不倫は、死刑か修道院送り、と決まっている。

そして、王妃の不倫についての確たる証拠は、今のところない。

状況証拠はいろいろあるが、推測の域を出ない。

マリーアントワネットとフェルセンの関係については、自分の興味からは距離があると、いまは、思っている

だから、しばらく、この問題を放置することにする。

(つづく)


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