1790年2月20日 王妃の14歳離れた長兄ヨーゼフ2世が亡くなりました。
ヨーゼフ2世は、マリーアントワットの懐妊に、大きな役目を果たしていました。
ヨーゼフ2世がルイ16世にしたアドバイスのおかげで、マリーアントワネットが妊娠したのです。
有名なツヴァイクの伝記小説では、ヨーゼフ2世が「手術」を勧めたことになっています。
しかし、ヴェルサイユに「手術」の記録は残っていません。
ルイ16世は、絶対王政時代の君主ですから、『国家』そのものです。
もし、「手術」が行われていたのなら国としての「記録」が残っているはずですが、手術の「記録」はありません。
「Marie-Antoinette l’insoumise」の:SIMONE BERTIÈRE 2006によると、
<医者がルイ16世の診察をした所見は、「妊娠する能力に問題なし」>でした。
ヨーゼフ2世が、ルイ16世にしたアドバイスは「動かしなさい」でした。
結果、マリーアントワネットは、第一子を妊娠出産しました。
突然、話は遡ります、マリーアントワネットが10歳の時、兄ヨーゼフが24歳で再婚しました。
その婚礼祝賀会が、シェーンブルン宮殿で催され、その様子が絵に残っています。
その絵の中央にいるのはキューピット役の1歳下の弟マキシミリアンです。
1歳上の兄フェルディナントは羊飼いの恋人役で、上手(かみて:左側)にいます。
10歳のマリー・アントワネットは、下手(しもて:右側)です。
8歳上の兄レオポルトは、チェンバロを演奏しているらしいですが、画面にはいません。
オーストリアの画家マインテスの作品で。バレエ「愛の勝利」を踊っているところが描かれています。
この絵は、マリーアントワネットがお気に入りだったので、1778年プチトリアノンに飾るための複製が製作されました。
作品を貼りたいところですが、権利関係がわからないので、止めておきます。
「マリーアントワネット 愛の勝利」で検索してみてください。
ヨーゼフ2世の後を継いだのは、弟のレオポルト2世でした。
参考文献:「Marie-Antoinette l’insoumise」の:SIMONE BERTIÈRE 2006
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