1815年1月21日、ルイ十六世とマリー・アントワネットが、サンドニに改葬されました。

1815年1月21日、ルイ十六世夫妻は、サンドニに改葬されました。

ルイ十六世は、1793年1月21日、

マリーアントワネットは、1793年10月16日に処刑されました。

当時は、マドレーヌ共同墓地に、それぞれ埋葬されました。

刑死後は、共同墓地に埋葬されましたが、あとで、二人と見分けられるょうに、

王党派の支持者が後でわかるように、目印を工夫したので、発見できました。

「サン・ドニ」とは、「聖ディオニュシウス」という聖人のことです。 

3世紀ころのキリスト教の殉教者です。 

布教を進めたので、反対勢力から、斬首されます。 

伝説によると、斬首された後も首を抱えて、数キロ歩いた後、倒れました。 

そこにできた修道院が、のちのサン・ドニ・バジリ力大聖堂になりました。 

そして、この大聖堂が、フランス王家の墓所となりました。

フランス革命期には、市民が、この墓所から王たちの遺体が掘り起こして、破壊した。

1815年1月21日に、マドレーヌ墓地(現在は、贖罪礼拝堂)で夫妻の遺体が発見され、

7年後の1822年1月21日に、サン・ドニ大聖堂に改葬されたことになります。

(個人的なフランス革命期の政体についてのメモ)

フランス革命期は、大混乱だった。

ルイ十六世の君主政→ジャコバン派革命政府→ナポレオン1 世(第一帝政)→王政復古(ル­ イ1 8世)→ナポレオンの百日天下→王政復古(シャルル1 0世)ブルボン朝の終わり→七月革­ 命(1 830)立憲君主制→アルジエリアの抵抗→七月ブルジョワ、ルイ=フイリップ王政→二月革­ 命(1 848) →ナポレオン3世(第2帝政) →第三共和制(現在)となります。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA