来年2025年には、315回目の誕生日を迎えます。
ルイ15世は、ルイ14世の息子ではありません、「ひ孫」にあたります。
ちなみに、ルイ16世も、ルイ15世の子供ではありません、「孫」になります。
(※このことは、調べてみるまで知りませんでした!)
ルイ14世には、3人の息子と3人の娘がいました。
長男(孫)を除いて、全員早逝した。
その長男(孫)も成人したが、夭折する。
そして、その長男には、3人の息子(ひ孫)がいた。
上の二人は、天然痘で早逝した。
残った三男(ひ孫)が、アンジュー公といい、ルイ15世になる。
ルイ15世は、5歳で即位。
ちなみに、ルイ14世は、4歳で即位している。
ルイ15世は「最愛王」と呼ばれている。
それは、愛人がたくさんいたから、有名なのは「ポンパドゥール夫人」、「デュ・バリー夫人」。
この二人については、機会があれば。
ルイ15世は5歳で即位して、64歳まで、王位にあった。
ちなみに、ルイ14世は4歳で即位して、77歳で薨去した。
ルイ14世の在位は、フランス史上最長である。
ルイ16世の父ルイ・フェルディナン(ルイ15世の息子)は、敬虔なカトリック教徒だった。
ルイには、5男(孫)3女がいた。その長男と次男は、早逝。
オーギュスト(のちのルイ16世)は、三男だった。
三男(プロヴァンス伯)は、ルイ18世に、五男(アルトワ伯)が、シャルル10世になる。
フランスとオーストリアの政略結婚交渉を始めたのは、マリアテレジアである。
それは、オーストリアの宰相カウニッツが御前会議で1749年に提案したことであった。
マリアテレジアは、ポンパドゥール夫人を頼って、ルイ15世に結婚を働きかけた。
フランス宮廷には、オーストリアとの政略結婚に反対する勢力が多かった。
ルイ15世が、マリーアントワネットとの政略結婚を決めるには、1765年息子ルイ・フェルディナンの死ぬまでの時間が必要だった。
1769年6月に、婚約文書が、ルイ15世からマリアテレジアにおくられた。
ここまでに、20年かかっている。
結婚の儀は、1770年5月に執り行われた。
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