今日、2月28日はモンテーニュの誕生日です。
1553年のことです。
ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne
モンテーニュが「エセー」を書き始めたのは1572年以降のこと。
それは、37歳で高等法院を辞めてから執筆にとりかかったことになります。
やがて、1580年2巻本初版「エセー」を刊行します、モンテーニュ47歳。
その後、1581年から1585年まで、ボルドーの市長を務め、任期満了。
1586年から1587年は、ペストを避けてボルドー市を離れます。
この間も、「エセー」に加筆を続けます。
1588年に、3巻本の「エセー」を刊行します、モンテーニュ55歳。
この時、3巻目を追加して3巻本に、そして、既刊の2巻本にも大幅な加筆を加えました。
さらに、1592年に59歳で亡くなるまで「エセー」に加筆を続けました。
モンテーニュ死後の1595年に、新版が刊行されました。
「エセー」の日本語訳は、関根秀雄さんの「随想録」があります。
※どの出版年を原書に選ぶのかの議論があるようです、他の方の日本語訳「エセー」もあります。
関根秀雄さんは、1588年の本を選択しています。
関絵秀雄さんは、仏文学者で、日本のモンテーニュ研究の第一人者です。
最初は1928年に日本語訳を出版、それ以後、モンテーニュと同じように訳の改訂を繰り返しました。
1987年に、亡くなりました。
ところが、死後、出版予定のないままの日本語訳メモが見つかりました。
それを娘さんが編集して、2014年に、国書刊行会から全1巻が刊行されました。
「随想録」が、本家モンテーニュの「エセー」と同じような出版の歴史を辿ったことに、相似形を感じます。
「随想録」を知ったのは、「池波正太郎の「銀座日記」(全)」新潮文庫のおかげです。
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